姫路城の歴史や城主 天守の大きさや特徴は 周辺の見どころも

2019年12月5日

JR山陽本線姫路駅が最寄り駅である姫路城は、世界遺産に指定されているほか、天守など8基の建造物が国宝に指定されているまさに日本を代表する城だといえます。

姫路城の歴史や歴代城主

姫路城は1346年に赤松貞範によって築かれたといわれています。
その後、城主は赤松氏の一族である小寺氏、小寺氏の家臣である黒田氏、織田信長の家臣であった羽柴秀吉と移り変わり、秀吉の時代に大改修が行われ、石垣や三層の天守などが築かれたといわれます。

秀吉の後は、秀吉の弟である豊臣秀長や秀吉の正妻・北政所の兄である木下家定が城主となった後、1600年に関ケ原の合戦の戦功により池田輝政が姫路城に入りました。
池田輝政の時代には、西国の外様大名を牽制する目的により姫路城の大改修が行われ、現在残っている姿になったといわれます。

池田氏が転封された後は、本多氏、榊原氏、酒井氏などの譜代や徳川氏一門の大名が城主となり、明治に至っています。

姫路城天守の大きさ

姫路城の象徴である外観五重の天守は、内部が六階、そして地下一階の構造となっています。
石垣の高さは約20m、建造物の高さは31.5mとなっています。

天守一層目の正面幅は約24m、奥行きは約18mという巨大なもので、ほぼ同じ大きさの二層目の上に三重の望楼を載せた望楼型天守という形式となります。

姫路城天守の特徴

姫路城天守の特徴としては、さまざまな破風によって装飾が行われていることが挙げられます。
三層目の屋根には二つの破風による比翼入母屋破風が、二層目、四層目、五層目には曲線を描く軒唐破風が使われています。
屋根を飾る鯱は11基も設置されています。

加えて土壁の表面に白漆喰を塗り、屋根瓦の継ぎ目にも白漆喰が塗られたその姿は別名の「白鷺城」にふさわしい美しいものです。
平成の大修理によって、その白さは一層際立つようになりました。

姫路城天守の内部

天守の内部は、基本的には建物の中心部分である身舎(もや)とその周囲を取り囲む武者走からなっています。
武者走はその名の通り、合戦の際に兵が移動するための通路です。

天守の各層には城内に進入した敵を鉄砲や弓で狙撃するための石落、狭間などがあちこちに設けられています。
二層目東西の大入母屋破風の屋根裏には「武者隠」というスペースがあり、建物の外からは推測しづらい位置からの狙撃を行うための設備であったといわれています。

そのほか、姫路城天守には籠城時に食事の準備をするための流しや、用便のための雪隠なども設けられていました。

最上階は座敷風の造りとなっており、姫路城の守り神と伝えられる刑部明神が祀られています。

姫路城周辺の見どころ

姫路市には姫路城のほかにも西の比叡山とも呼ばれる書寫山圓教寺、二千年以上の歴史があると伝えられる廣峯神社、黒田官兵衛孝高の居城があったと伝わる国府山城址などの見所があります。

そして、最近話題となっているアーモンドトースト、ひねポン、姫路おでんといったB級グルメも味わえます。
姫路城見学と合わせて楽しんでみてはいかがでしょうか。