大分府内城の歴史や歴代城主 天守の形や周辺の見どころも

2019年12月5日

府内城は大分県大分市の県庁や市役所が立ち並ぶ市内の中心地にあります。
最寄り駅のJR日豊本線大分駅からは、徒歩15分程度で行くことができます。

大分府内城の歴史と歴代城主

府内(大分市中心部の旧称)はもともと大友義鎮(宗麟)で知られる戦国大名・大友氏の本拠地でしたが、義鎮の子である義統の時代に改易され、府内には石田三成の妹婿であった福原直高が入りました。

直高は新たに大分川の物資の集積地であった荷落に城を築きます。
城は1599年に完成し、この城が現在も残る府内城となります。
そして、「荷落」という地名は不吉だということで、地名も「荷揚」に改められました。

関ケ原の合戦の後、福原氏に代わって竹中重利が府内城の城主となり、竹中氏の後は日根野氏を経て松平(大給)氏の居城となり、明治に至っています。

大分府内城に存在した天守の形は

福原直高は12万石の大名であり、また豊臣政権内の実力者であった石田三成の妹婿ということもあり、城には四重の天守がそびえ、数多くの櫓や櫓門が立ち並んでいました。
府内城は九州では、熊本城、福岡城、小倉城に次ぐ規模であったといわれています。

福原氏時代の府内城天守は望楼型という古い形式のものであったといわれていますが、福原氏に代わって府内に入った竹中重利によって層塔型という破風が一つもない形式のものに改められたといわれます。
この竹中氏時代の天守は総塗籠で最上階には廻縁というベランダ状のものが設けられ、また最上階の壁の四方には寺院建築に見られるような華頭窓がありました。

大分府内城の特徴

府内城は平城であるため、石垣が堤防状に築かれています。
こういった形式の石垣の場合、櫓を立てる際は櫓台というスペースを作る例が多いのですが、府内城にはそれがありません。

ですので、府内城の櫓の多くは、城内側に一層余分に作る必要がありました。
つまり、城外から見ると二層の櫓が城内から見ると三層に見える、というのが府内城の大きな特徴となっています。

府内城の天守は1743年に火災によって焼失し、その後復元されることはありませんでした。
また、多数あった櫓も太平洋戦争の戦災によって失われました。
現在、府内城には天守台や本丸・二の丸の石垣と水掘、そして、人質櫓・宗門櫓が遺構として現存しています。

大分府内城周辺の見どころ

歴史好きとして訪れたい大分市の観光スポットとしては、大分市歴史資料館があります。
旧石器時代から近世までの大分市の歴史資料が展示されていますが、大友氏に関する資料もあり見逃せないスポットです。

また、大分駅の近くには大友氏の館跡を中心とする国の指定史跡「大友氏遺跡」があります。
現在、発掘整備が進められており、庭園や館の主殿が復元される計画があるそうです。

少し足を伸ばせば、ニホンザルの餌付けで有名な高崎山や大規模な水族館である大分マリーンパレス水族館「うみたまご」があります。

そのほか、大分市には全国的にも知られるようになった「とり天」や「琉球丼」の人気店が多数あります。
府内城を訪れた際には、ランチやディナーとしてぜひ味わっておきたいものです。