伊予松山城の歴史や城主 見どころや交通アクセスも

伊予松山城は愛媛県松山市にある城です。
JR予讃線松山駅から伊予鉄道市内電車に乗り換えて大街道で下車すれば到着します。

伊予松山城の初代城主・加藤嘉明

伊予松山城は、1602年、加藤嘉明によって築城されました。
加藤嘉明は「賤ヶ岳の七本槍」のひとりとして名高い豊臣秀吉の家臣です。

文禄・慶長の役で水軍を指揮して功を上げ、秀吉から10万石を与えられ伊予国正木城の城主となり、さらに関ケ原の合戦では東軍に参加して戦後は徳川家康からさらに10万石を加増されます。

加藤嘉明は領地が増えたことで海沿いの正木城から平野部にある勝山に新たに城を築き、付近の地名を「松山」と名付けました。
これが松山の地名の由来といわれています。

また嘉明は、城を築くと同時に城下町の建設も行いました。
石手川の改修工事を行い、城の堀として利用すると同時に、洪水対策や農業用水として利用するという目的もありました。

奉行として改修工事を指揮したのは嘉明の家臣である足立半右衛門重信で、彼の名前が付けられた重信川という川があることから、この工事は松山の人々に感謝されるものであったということがわかります。

伊予松山城の見どころ

伊予松山城は典型的な平山城であり、築城当時は合戦への備えとして山の上の本丸部分が主に使われていました。
しかし、時代が下り太平の世となると、平地にある二の丸や三の丸が政庁や城主の住まいとして使用されるようになりました。

伊予松山城の見どころのひとつである二の丸跡は、現在、松山城二之丸史跡庭園として整備されています。
ここでは二の丸御殿の間取りをコンクリートを畳の形にして再現していたり、また、防火用水として使用されたと思われる大井戸の遺構があったりして、本丸と合わせてぜひ見ておきたい場所となっています。

二の丸から本丸へは徒歩でも登れますが、ロープウェイやリフトも利用できます。
山頂のロープウェイの駅を出て道を登っていくと本丸の入り口である戸無門があります。

戸無門を過ぎて進むと扉のある筒井門があります。
この筒井門の脇には隠門があり、戸無門から筒井門に進んでくる攻城兵を背後から攻撃できるような構造となっていることがわかります。

さらに進むと伊予松山城の最大の見どころともいえる三重の大天守がそびえています。
伊予松山城の大天守は小天守と屋根のある廊下で結ばれた連立式の天守となっており、このような形式の天守で現存するものは姫路城があります。

伊予松山城の大天守はもともと五重でしたが、松平定行が城主となった時代に幕府への遠慮から三重に改修されたといわれています。

江戸時代以前の姿がわかる貴重な城

伊予松山城はたびたび火災に見舞われ、大天守も幕末に再建されたものです。
また、放火や空襲によっても多くの遺構が失われましたが、大天守や乾櫓、野原櫓は火災を免れ、国の重要文化財に指定されています。

そして、小天守をはじめ多くの建物が復元されており、江戸時代以前の姿を知ることができる全国でも貴重な城となっています。

松山市には伊予国守護であった河野氏の湯築城もあり、また、全国的に有名な道後温泉もあります。松山城の見学の際には、合わせて訪れてみたいものです。