名古屋城の歴史や城主 その特徴も

2019年12月19日

名古屋城は愛知県名古屋市にある城です。
日本100名城に選定されており、金の鯱で有名な天守は名古屋市のシンボルとなっています。

名古屋城の歴史と城主

名古屋城のはじまりは、16世紀初頭に今川氏が築いた柳ノ丸であったといわれています。
この城を織田信秀が奪って那古野城と名付け、この城で織田信長が誕生したといわれています。

信長が本拠を清洲城に移したため、那古野城は一時廃城となりましたが、1609年に徳川家康の命によって九男義直の居城として西国大名による天下普請によって新たに名古屋城が築かれることになりました。
1610年閏2月に着工し、同年の9月には大部分が完成する突貫工事だったといわれています。

なぜ名古屋城の築城がこのように急がれたのかというと、当時はまだ大坂に豊臣氏が存在しており、もしも西国大名が豊臣氏の下に結集して謀反を起こした場合に、名古屋城に徳川方の兵を集めて防戦するため、という理由があったといわれています。

名古屋城の特徴

名古屋城の特徴として、築城時から最も近い過去の合戦である関ケ原の合戦による教訓が多く活かされているということがあります。

そのひとつは本丸、二の丸、三の丸といった曲輪の面積が広いということがあります。
これは、関ケ原の合戦でも使われるようになっていた大砲の弾が中心部まで届かないように、という狙いがあります。

そして、天守や櫓の壁は火がつきにくい漆喰総塗籠となっており、さらに天守の壁は厚さが30cmもあり、さらに内部に欅材を鎧戸状にはめ込んで大砲の砲弾への耐久力を高めていました。

また、大砲の標的となりやすい二重以上の櫓を減らし、一層の多聞櫓の数を増やすという工夫もされていました。
広大な名古屋城に二重以上の櫓は11しかなく、これは犬山城と同じ数となります。
半面、多聞櫓は本丸の全周を取り囲むように建てられており、さらに敵の攻撃が集中すると思われる西の丸南側と二の丸西側にも建てられ、その総延長は約1200メートルにも及んでいました。

また、トンネルによる本丸への接近を防ぐため、名古屋城の空堀は幅が広く深いものとなっています。

これらの城づくりの考え方は、同時期のオランダの要塞と共通する部分が多いといわれています。

名古屋城の別の大きな特徴として、方形の曲輪を組み合わせた単純な縄張があります。
このような縄張の城は、当時、篠山城、二条城、駿府城などがありました。

これらはすべて徳川方の城であり、そのような単純な縄張に統一した理由として、もしも合戦となった場合に、その城の城主の家臣だけではなく、近隣の徳川方の小大名や旗本なども城の守りに加えるため、集まった兵たちが迷うことなく任務を果たすことができるように城の造りを統一する、という考えによるものだといわれています。

このように名古屋城は、数々の合戦から得られた教訓が詰め込まれた実戦的な城ということができるのです。

見どころ豊富な名古屋城

名古屋城では2017年に本丸御殿の復元が完成し、2022年には木造での天守の復元が予定されています。
城好きならば必ず訪れておきたい名城であることは間違いありません。