松本城の歴史や歴代城主 交通アクセスや城にまつわる逸話も
松本城は長野県松本市にある城です。
最寄り駅はJR篠ノ井線・大糸線、アルピコ交通上高地線の松本駅、あるいはJR大糸線の北松本駅となっています。
松本城の歴史と歴代城主
松本城の始まりは1504年から1520年頃、信濃国守護である小笠原氏による築城とされ、築城当時は深志城と呼ばれていました。
深志城は小笠原氏の本城である林城の支城であったといわれています。
隣国甲斐の武田信玄が侵攻してくると林城と深志城は落とされてしまい、以後は、武田氏の城代が深志城に留まることになります。
その後、織田信長によって武田氏が滅ぼされ、その織田信長も本能寺の変で斃れると、その間の混乱を利用して旧守護家の小笠原貞慶が深志城に入り、深志の地名を「松本」と改めます。
しかし、豊臣秀吉が天下人となると、秀吉の配下である石川数正が松本城主となります。
数正は息子である康長と松本城の修築を行いました。
現在も残る五層の大天守と三層の小天守はこの頃建てられたものです。
数正の死後、跡を継いだ康長は関ケ原の合戦で東軍につき所領を安堵されますが、1613年、大久保長安事件に連座して改易され、松本城には小笠原貞慶の子である秀政が入ることになりました。
小笠原氏は秀政の子である忠真の時に移封となり、以後は、松平氏、水野氏、戸田松平氏(戸田氏)と城主が変わり、戸田松平氏が城主として明治を迎えることとなります。
松本城の見どころ
アルプスの山並みを背景とする松本城は写真映えすることで有名ですが、内堀にかかる橋は絶好の撮影スポットとなります。
橋を渡って、あるいは復元された黒門からも本丸に入ることができ、本丸には大天守、小天守、月見櫓、辰巳附櫓などの遺構が残っており、内部を見学することができます。
大天守の六階まで登れば、アルプスの山並みや松本市街といった素晴らしい眺めが待っています。
松本城の逸話
この大天守の最上階には「二十六夜神」という額が掲げられています。
これには、大坂夏の陣の数年後、宿直の侍が正月二十六夜に見た夢に女神が現れ、「二十六夜に米三石三斗三升三合を焚いて備えるように」と言って侍に錦の袋を与えたので、その錦の袋をご神体として祀り、言いつけ通りにしたことで城は大火に遭うことがなかった、という逸話があるそうです。
そのほか、月見櫓は善光寺に参詣する将軍・徳川家光が松本城に立ち寄った際に月見の宴をするために建てられましたが、結局、家光の善光寺参詣は取りやめとなってしまった、という逸話もあります。
日本で五つだけしかない国宝の天守を持つ松本城は、城好きならば必ず訪れておきたい城といえるのではないでしょうか。