中津城の歴史と城主 歴史資料館の開館時間や周辺の観光スポットも

2019年12月8日

中津城は豊臣秀吉の家臣であった黒田官兵衛如水が築いた城です。
最寄駅はJR日豊本線中津駅です。

初代城主は黒田官兵衛

そもそも中津城の始まりは、豊臣秀吉の九州征伐後に黒田官兵衛が豊前六郡を与えられ、その本拠地として中津に城を築いたことです。

中津城は山国川と周防灘の水を利用した水に囲まれた要害となるはずでしたが、黒田官兵衛の支配に反抗する城井氏をはじめとする豊前の国人衆との戦いや、文禄・慶長の役への出兵により中津城の工事はなかなか進まなったようです。

秀吉がこの世から去ったことによりようやく朝鮮から帰国した黒田官兵衛・長政父子でしたが、それから間をおかずに関ケ原の合戦が勃発します。
関ケ原の合戦での戦功により黒田長政は筑前52万石を与えられることとなり、豊前には細川氏が入ることになりました。

二代目城主・細川忠興が中津城を拡張

1604年、家督を嫡男・忠利に譲った細川忠興は、隠居城として中津城に入りました。
忠興は城の南側に三の丸を増築、また城域を拡張し、新たに中心部に石垣を積むなどしました。

そのほか、大家川を山国川に流れ込むようにする工事を行ったり、城下町の整備を行ったりしました。
加えて城下町を取り囲む惣構と6カ所の門を作るなどしています。
こうして、現在に至る中津の町の基礎がつくられたのです。

当時の中津城には22基の櫓が存在したそうですが、天守はついに建設されることはありませんでした。
そのせいもあってか、ひとつの大名家につきひとつの城しか認めないとする、幕府が出した一国一城令にもかかわらず中津城は取り壊されることはありませんでした。

その後、細川家が肥後国へ移封となると、中津城には小笠原氏が入り、1717年には奥平氏が入って幕末まで存続することとなりました。

中津城の見どころ

現在、中津城には石垣や水堀などが残され、また、1964年に奥平氏の子孫によって復興天守と二重櫓が建設されました。

天守の内部は「奥平家歴史資料館」となっており、歴代藩主の遺物や貴重な資料などが展示されています。
長篠の合戦で使用された武具の展示などもあり、歴史好きには見逃せない施設となっています。

「奥平家歴史資料館」は開館時間09:00~17:00入館料400円となっています。

中津城周辺の観光スポット

そのほか中津には「黒田官兵衛資料館」「中津市歴史民俗資料館」などの施設もあります。
また、惣構に沿って作られた土塁である「おかこい山」もいくつか残っており、中津城の貴重な遺構となっています。

中津は慶應義塾の創始者であり、現在の1万円札の肖像画としても知られる福沢諭吉の出身地としても有名です。
市内には「福澤諭吉旧居・福澤記念館」という施設もあります。

そのほか、中津から車で20分のところには景勝地の本耶馬渓、菊池寛の小説のモデルとなった禅海和尚が30年かけて掘ったというトンネル「青の洞門」などもあります。
中津城と合わせてぜひ見ておきたい観光スポットです。

中津といえば、近頃、全国的に有名なのは「からあげ」です。
中津城見学の際のランチに召し上がってみてはいかがでしょうか。